金平糖の魂より

かつらの君へ

特別報告者からの書簡

国連、プライバシーに関する特別報告者から安倍首相への書簡、ゆうべ最後まで読んだ。

東京新聞で令状のことのみ匂わせているけれど、書簡は最後のあたりに、法案と根拠資料全部送れ、力になるよ、というニュアンスで結んでる。

 

その辺りを読んで、私は、がーんと思った。

 

法案に対する警告の点ばかり、報道や反対派が「ほれ見たことか」的に取り上げてるけど、
日本のアカデミズム、法務省最高裁判所国連からまったくあてにされてない。

 

一国の司法部門、アカデミズムの力量が、国連にスルーされる程度ってどうなんだ。
人権侵害の恐れがあっても、あてにならない存在と脇に置かれてるって、なんだよ。

 

英文読み違えてるだろうか。

 

よその、文化が違う国の人たちが、法案を問題視してるだけだし、と、気にしないでスルーするのもありだと思う。でも、問題視されてるよ、やっぱ変って言われてるよ!と取り上げたいなら、日本の司法部門、アカデミズムが脇に置かれてることも同じくらい大事だと思う。

 

彼らがきちんとしていてもこの書簡はきただろうか。

自由になりたい。

生まれて初めて何年も知っている人が犯罪者になった。それはとても衝撃だった。

 

 この人はいい人、この人は悪い人、誰でも人をそうやって分けて考えるのではないだろうか。そして、ある程度の年齢になるとその分ける基準と言うものを心の底に持っているのではないだろうか。

その基準がぶち壊れてしまった。誰もが羨む地位と肩書き、そんなものを持った人、自分に親切にしてくれる人、その人がその人を知る何年かの間に最も世の中に対し不誠実なことをしていた。 

 

私は気づかなかった。

 

周囲の目に見えるような形でその人に親切にされ、過ごしていた。

ただ、本当に何も気づかなかったかと自分に問い直せば「違う」と答える自分がいる。

 

私は、心の底で彼のおかしさを知っていた。そのおかしさはなんというか、笑えるものではなく、裸の王様が自分が王様であることに酔っているような独りよがりなものだ。その独りよがりさを指摘しようものなら、彼は烈火のごとく怒るのではなく、自分を理解していないと見下すのだ。私は、見下される事は一向に構わなかった。でも理解していないとしつこく表現されることについて耐えられなかった。

簡単にまとめてしまうと、非常に申し訳ないことだが、めんどくさかったのだと思う。そのめんどくさい気持ちが、彼に裸の王様であることを指摘することもなく、図に乗ることを手伝ったのだ。

 

どんなに努力して生きてきても、裸の王様の周りで傅くふりをしてしまえば、同じように信頼を失ってしまう。

私はそのことを知らずにいた。

 

同じような人種が集まる世界にいた。

 

そのことを知らずにいたはずなのに、私の願いは自由になることだった。閉塞感の中で、自由になりたいと願った。そこに自由がないことに気づかなかったくせに、自由になりたいと願っていた。その願いは、とても具体的だった。

 

どんな肩書があろうがどんな権力があろうが、王様は裸だと言いたい。お前はクソだと言いたい。

 

あるとき、私はノートの端にそう書いていた。

 

気に食わないことを言われたら「あいつを殺す」と怒鳴り散らす、ヒステリーを起こす、表現の自由なんかない方がいい、認めないと口走り権力で口止めをする。そんな人間が語る人権、個人の尊厳に対し、ばかばかしいという以外に浴びせる賞賛がなかった。

 

でも、彼がそんな人間であることに気づかず、「僕の味方になって」と泣いたとき、「ずっと2人でいようと言った時」私はまだ「自業自得」と言う言葉の意味を知らなかった。

 

地位があり、学歴があり、肩書があり。

お金があり、家があり、土地があり。

そんな人間が、犯罪を犯す。そして全てを失う。その時私は、哀れだと感じた。大金を支払って示談にしたその人間のその先の幸せを願った。

 

しかし、今は違う。自業自得と言う言葉を覚えた。

 

かわいそうな人、周りの人、人の信頼を失った人、認められなかった人。彼らを見て見ないふりをするのに良い言葉がある。自己責任という言葉だ。

 

でも、同情の余地のないときには、自業自得という言葉の方が遥かにふさわしい。

 

そして、私は、切ない気持ちから自由になろう。

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手紙

もう、2週間経つ。

 

君が書いたモノを読んだ。

でも感想はない。

 

ない。

いや、ある。

 

私は君に対し、一流の研究者になることを諦めたのかと尋ねたい。

 

君は私に嘘をついたのか。

君は、後輩が罪悪感と権力でくれたポストから、自力でそれより上のポストを手に入れることができなかったのか。

ポストは別にしてもそれ以上の価値のあるものを生み出すことを諦めたのか。

 

君の書くものから真摯さが伝わって来なくなった。読む者をからかうような、自分に酔ったレトリック。

 

研究室で、学生と不適切な行為に及び、思わず声を出した君。あれは、後輩の顔を潰すという復讐をしていたのか。

 

君の書く文章は美しさを失った。

君の書く論文は、思想を失った。

いや、最初から思想などなかった。

あれから、君は、僕をみて、としか書いてない。

 

 

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発達障害

最近、発達障害記事が流行ってる。

 

これ、どうするんだろうと思う。

いろいろ苦手な人がいて

この苦手は、生活に支障をきたす程の苦手で、なおらない、と言われたら、

社会はあたたかく、たいへんだねと配慮してくれるだろうか。

 

めんどくさいから他の人を探すだけではないだろうか。

 

障害があると理解することと、障害に配慮することは全く違う。

LTBTは理解したあと、それに配慮するハードルが低い。

能力的なでこぼこの問題じゃないからだ。職場でその人が、誰を愛していようと、仕事に支障はないし、物理的な着替え場所やトイレへの配慮で済む。

でも、発達障害は違う。

話のやりとり、指示の仕方、取り組み方など苦手なことがあり、妙に疲れたりする。

他方、得意なことがあるかといえば、ないこともある。

 

どうするんだろう。周りが頑張ったり、配慮したり、我慢したり。

相手の気持ちがわからない発達障害の人に周りが協力して、その人は幸せかもしれない。

職場で、優しい人にしわ寄せが行くのではないか。

 

どうしたらいいんだろう。

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セックスワークを認めたら。

泣き寝入りですか!

と言われると弁護士は腹が立つ。

他方、

そう言うセクハラの被害者は、「腹が立つ」のリミッターを超えているから弁護士のところに行く。

 

だから、そういう弁護士の書き込みなどをネットで見ると、無能なクソ弁護士!とまた怒りを募らせる。

 

と、セクハラの被害者と、クソ弁護士の話は繋がっている。

 

セックスワークを正面から認めると、

セックスは、整体やマッサージと同じようなサービスのひとつになるから、

財産罪の中でも利得罪が成立する。

 

JKビジネスだって、手を繋いだら千円。メールすればお小遣い。パンツ見せたらいくらだよ。

女の存在は、金になる時代。

 

騙してマッサージさせたら、二項詐欺罪

同様に、騙してセックスも、二項詐欺罪になるだろう。使用者の立場をみせたら二項強盗罪。

アルバイト

バイト先で、書きかけの原稿の校正をした。

酷かった。

別のアシスタントの書きかけの原稿だと思ってた。

以前にも、酷いので真っ赤に直した原稿があったからだ。

でも、ちがった。原稿は先生のだった。以前のも多分そう。足りないところが同じだったから。

その上、「書きかけ、」というのは彼女なりに謙遜で、実はそれは完成品だった。

前回に続き、私は先生の完成した原稿を真っ赤に直した挙句、参考資料までつけて返した。

 

酷いとなぜ言うか。

それは、問いに答えてないからだ。

私が拾った問いの答えを彼女は、知恵を披露するかのように、言い訳をした。

その言い訳を聞きながら、この先生はムダに頭がいいんだろうと諦めた。

たくさんの知恵を、自分とは違うベクトルの上に重ねている。

 

求める人にとって、ごまかしの行間にきづいてしまうということは、その求めが徒労に終わったことに気づくと同じことだ。

 

問いに答えないこと、私はそれを酷いと思う。

でも、他の人は、その沈黙を美しいというだろう。

 

1つ1つの知恵が積み重なって、作品や、その人の今の姿が出来上がる。

出来上がったものをみて、自分にとってのその知恵の価値を知る。

 

このアルバイトは、私には合わない。きっと。

 

 

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